No,281  大雪の明神平(NET仲間、「明神21」山行記)

雪山テント泊初体験


《 2001年2月17〜18日、テント泊 》

《 泊メンバー    3名=虎、郭公、DOPPO 》
《 日帰りメンバー 10名=円の亡者、HAMA、よし庵、YOKO、
まえだ こ、彦兵衛、彦兵衛の友人、原、ミリオン、廣 》
   順不同敬称略

《 東吉野大又登山口〜明神滝〜明神平(テント泊体験)〜明神岳下〜明神平(雪遊び)〜大又 》



「明神21」山行
2月17日
私を含め3名が、泊まりのメンバーとして待ち合わせ場所の杉ヶ瀬茶屋さんへ到着。
翌日の日帰り山行となる、彦兵衛さんの車を先導に、タイヤチェーンをつけて出発。道路の雪は深くなるばかり。
ヘリポートのある駐車場に何とか着いた・・・と思いきや先導の車はグングン登ってゆく、
斜面はきつくなり遂に私の車は滑って進めなくなってしまった。
バックするしかなかったので、ゆっくりと慎重になっていたものの雪に深く乗り上げていた。
とうとう前にも後ろにも滑って進みません。
郭公さんが、「チェーン片方おまへんで〜」しまったと思っても、もう遅いのである。
郭公さんに車を押してもらい何とか少しだけ動いた。
バックでヘリポートまで戻っている間、郭公さんはチェーンを探しに来た道をず〜っと探してくれていました。郭公さんどうもありがとう。
その間、彦兵衛さんの車は虎さんを乗せて、登山口まで行って、私達の車が来ないというので、ヘリポートまで戻ってきました。
帰っていく彦兵衛さんに、チェーンを見つけてもらうことをお願いして、ともかく登山口を出発したのです。

登山口の積雪15cm、こんな雪はここでは初めて、山も里も、一面真っ白の雪化粧でした。
旧あしび山荘での休憩までは、何とかアイゼンなしで、ここからはアイゼン装着。  

 凍っている明神滝は青白い大きな氷となり、すばらしい自然の姿を見せている。
しばらく登り、沢を渡ったところで、踏み後は、いつもの夏道とは違う方向に、向っているではないか。
どうも、先の登山者は沢沿いに直登したもようである。深い踏み跡はときどき右に左に彷徨っていた。
雪深い厳しい斜面(ここでHAMAさんから、ご機嫌伺いのメールが入る)を上り詰めると、左手の木の間から、
谷越えにログハウスの姿を確認するや、眼前には真っ白な雪原、明神平が広がっていました。

疲れも吹っ飛ぶほどの良い天気と、輝く樹氷に囲まれて、新あしび山荘のいろりで、何とも質素な食事が済んだ時は、既に13時半。
薊岳ピストンなど、この深い雪ではどうにもならない、くつろいで早く飲みたいだけなのか、誰も行く気など無く吹っ飛んでました。

煙が目に沁みても、楽しい話はつきません。
暗くなる前にテント設営を済ませ、虎さんによる韓国味の食事とお酒で夜9時まで囲炉裏を囲んでいました。

私は今回雪上テントのテスト、郭公さんもテントで、寂しく虎さんもログハウスで、それぞれの主としてべつべつに寝たので有ります。

 2月18日


テントの中は以外に暖かく思ったより快適、風でテントがバタバタしていたが、隣のテントの郭公さんのイビキに比べれば、たいしたことはなく
郭公さんのイビキにも慣れてしまった。(郭公さん、失礼しました・・・・これがあなたのトレードマーク)
朝日に輝く薊岳は格別で感動をくれました。
雪を溶かした水で沸かした、熱いコーヒーをいただき、満足の朝を迎えたのです。

桧塚奥峰へ向け出発
私は子供用プラスティックのソリのうえに荷物を載せて、引っ張りながら三ツ塚分岐へ踏み後をたどる。
明神岳まではトラバース気味に、・・・・雪はストックも隠れるほどに深くなり、
明神岳から桧塚奥峰のルートに入ったところであきらめて引き返す事にしました。
あの積雪ではとても日帰り組メンバーが到着の予想時刻、12時半まで還れる訳も有りませでした

 
写真撮影と休憩を取り、復路は郭公さんのラッセルで明神岩までの新トラバースルートです。
これを「郭公ルート」と名付けました。
ここからはもちろん、プラスティックソリで明神平まで滑って降りました。

日帰りメンバーが来るのを楽しみに、虎さんは囲炉裏で薪を焚き、お湯を炊いて待っています。
私と郭公さんがテントの撤収をしているとにこにこしながらこちらに来る人が一人います。
11月以来のまえだこさん、突然の訪問でみんなびっくり。
ちょっと太り気味かな?よくぞ参加をありがとう。

このあと日帰りメンバーの到着で楽しい一日はあっという間に過ぎてしまいました。

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