No,302 蝶ヶ岳、徳本峠
古き面影の徳本峠、徳沢園へ
《 2001年10月6〜8日、 テント2泊 》
《 メンバー 単独 》
《 10/6 上高地〜明神橋〜白沢渡〜徳本峠〜白沢渡〜徳沢園テント場 》
《 10/7 徳沢園〜横尾〜蝶ヶ岳〜長塀尾根〜徳沢園テント場 》
《 10/8 徳沢園〜上高地 》 画像拡大できます
今回の山行きは森の音さんと郭公さんの穂高行きの車に便乗させていただきテントをベースに上高地周辺を気侭に歩いてみようとの計画でした。日本アルプスの父、ウェストンや幸田露伴、芥川龍之介が通った徳本峠、古き牧場の匂い残る徳沢園のテントサイト、そこから日帰りハイキング出来る山を幾つか考えての出発となりました。
10月6日
前日、千里中央で待ち合わせ、名神高速道から東海北陸道を終点まで、奥飛騨の高山を横切り仮眠後、早朝平湯に到着。なんと私達を待っていたのは、気高く聳える笠が岳の姿でした。
3人とも「うぉ〜〜」っと、狼よろしくうなり声。駐車場に車を置きバスに乗り換え上高地に入る。
河童橋で記念撮影を済ませて、お二人さんの行く岳沢の入り口で別れました。
私は耳には心地よい沢の音を、目には色付きはじめた木々の黄葉を楽しみながら明神池へと向かいました。明神池は多くの観光客でごった返しています。穂高神社に参拝し明神館を横目に白沢渡を右に曲がり徳本峠へ。
重いリュックを笹薮の中に置きサブザックで沢沿いの緩やかな林道を登ってゆくとガレ沢にでた。この辺りから少しずつ木々の色も賑やかになり、振り返ると険しい明神の岩峰が目立つようになり、少しずつ高度も上がってくる。ジグザグの道を登りきり徳本峠へ到着。
古い小屋の前の広場にはたくさんの登山者が賑わっています。少し南に上った展望台で食事をしながらゆっくり穂高を眺め、久しぶりにのんびりとした山のひと時です。
白沢渡でリュックを回収し、徳沢のテント場へ。
徳沢のテント場はもう晩秋の匂いです、古き牧場の匂いです。木の葉の色よりもっと鮮やかな色とりどりのテントで草地の上は賑わっていました。
10月7日
5時半、徳沢のテントをベースに蝶ヶ岳に向け出発。
薄いオレンジに染まる明神岳を左に見ながら沢沿いの歩きやすい広い道を横尾へ。横尾は涸沢や槍沢の入り口、連休の登山者が賑わっていました。
ここからが急登の始まりです。笹と森林の坂道を繰り返すと槍見台へ着く、なるほど右手奥に美しく槍ヶ岳が見えてきた。少しずつ登るにつれて木の間から穂高連峰の稜線が見え隠れする。横尾を出て2時間余り経つ、いきなり廻りはハイマツ帯に変わり、パッと展望が開け、穂高連峰や槍ヶ岳が眼に入り込んできた。今まで見たこともない、蒼い空にくっきりと迫り来る穂高や槍の岩稜は見事な姿を表していた。ガラガラした石の登山道を山頂へ。
山頂には20人位の登山者がいた。その中には「混みあっている涸沢への道を敬遠してこちらに来た」と言う人達もいた。
直ぐ北には常念岳、大天井岳、遠くには野口五郎岳や鷲羽岳が見えていました。
山頂の周りは広く、南へ20分程のヒュッテの横で昼食、強い太陽の日向で昼寝、2時間も過ごしていました。
長塀尾根を下り徳沢のテントでもまた昼寝でした。
10月8日
早発ちの人達がテント場を去った後、疎らに成ったテント場はのんびりとした朝を迎え、それでも森の音さん、郭公さんが下りてくるまでは余裕のヨッチャンです。テントを乾かした後、道脇で横になって待つことにしました。何時まで経ってもゾロゾロと下りてくる登山者の中に、二人の姿は現れませんでした。約束の待ち合わせは明神館11時。取りあえず明神館へ向けて出発しました。
12時半やっと郭公さんが一人で明神館前に下りてくる。郭公さんの一声「森の音さんが岩場で滑落してしまった〜」
「ええ〜〜」とビックリした僕に、「うそうそ〜」だって。ほんまにこのおっちゃん(^^)
でも、なかなか下りてこない森の音さんは捻挫をしていたのです。しかも知り合いのコマクサさんと一緒におりてきたのです。コマクサさんとは直ぐそこで会ったとの事。慣れた手つきのコマクサさんの応急処置で何とか森の音さんも上高地まで歩けたのでしょう。
帰りは4人で平湯の露天風呂で汗を流し、楽しく車で帰ってきました。
お陰さまで、秋深まる上高地での、久しぶりののんびり登山が楽しめました。
上高地まで同行そして穂高へ廻った 森の音さんの山行報告 郭公さんの山行報告
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