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展望図 | |
7月20日 3日目歩いた道 |
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避難小屋にしては宿泊者が随分多かった。30人くらいはいたような気がした。だから朝はごったがえしていた。 標高3100mの小屋の朝は寒い。赤石岳の由来は赤い石が多く、山肌が赤く見えるらしいのだが、今日も曇っていて山の姿は見えない。 赤石岳避難小屋出発 5:00 怪しげな雪渓をトラバースして、暫くすると台地の様な所を歩く、すると、もっと広いデッカイ台地状の・・・・そうかここが百間平なのか。 ガスで全部は見れなかったけど、ロープが張られていて、湿地帯の植物の保護をしている風にみえた。 百間平を過ぎるとガレ場の急降下です。 テント場の横の雪渓を横切り下ってゆくと、静かな佇まいの小屋が見え、これが百間洞山の家であった。7:00着 二階の窓から管理人らしき、人懐っこい若者が声を掛けてきた。窓を開け、掃除している模様だった。外の濡れたベンチで一休みして、中盛丸山へ登ってゆく。 三日目ともなるとこの急坂は結構辛いものがある。小兎岳、兎岳も天気が良いと随分見晴らしの良い山と思えた。北に赤石、東に聖、南に広河内岳、更には光岳までも・・・・・・・・頭の中で想像してみたりした。 兎と聖の間の最低鞍部で単独行の人に会う。その先に見える岩場は赤く削れていて、恐ろしく立ちはだかった様にみえた。このあたりの石は赤石岳周辺よりも赤く感じた。 聖山頂へは標高差の割りには、然程の辛さは感じなかったが、山頂ではまたまた雨が降ってきた。でも一瞬だったが、ガスの間から赤石岳を見ることが出来てとても嬉しかった。結局これを最後に山岳展望する事はなかった。 聖岳 13:00着 聖平までの下りは随分長く感じた。 ちょうど小屋の屋根が見えてくる頃、ガスが切れて正面に高い稜線が見え隠れしている、あれが上河内岳の頂きだと思う。 また近いうちに登ることになるでしょう(^0^) 今日の宿は聖平小屋 15:40着。 古き時代の旧小屋にて素泊まり。これが懐かしき時代の山小屋がそのまま残った風情を見せていて、いかにも南アルプスといった雰囲気だ。どこか大峰の山々と似ている、親しみさえ感じた。 目標の茶臼小屋までは行けなかったけど、雨とガスの中での三日間、黙々と歩き続けた。けっこう充実感だって湧いてくる。 小屋の窓ガラスは、いやガラスではなくよく見るとプラスティックがはめ込まれていた。そのプラスティックの端っこが反り返り、ヒンヤリした空気が容赦なく出入りしていた。しかし小屋の中のいかにもベテランそうな面々は、小屋の主のような落ち着きでそれぞれがゆったりとくつろいでいる。 ここ旧小屋は客も少なくゆったりとくつろげた。ザックの荷物を床に広げっぱなしで2人とも朝まで眠ったようです。 7月21日 4日目歩いた道 あとは下るだけだ。いつもの朝よりゆっくりの出発。 薊畑の分岐からはだらだらとした下り道。沢の音が近づくと急坂になる。ズルズルの斜面を滑りながら下り、西沢渡りへ。野猿があった。 荷物だけをこれに乗せて、川を渡る。二度ほどザブンと浸かったので靴の中は程よいクッション、この後の林道歩きがちょうど良かった。 郭公さんはウロウロしながら渡り方を思案していたが、結局ザブザブと渡るほかないのであった。 1時間足らずで便ヶ島へ着く。この小屋は問題が発覚して以来、閉鎖状態が続いていたようだが、今年の春から聖平小屋の管理のもとで再開されていた(収容人数25名)。 易老渡の駐車場所 9:20着 当初の予定、山行中に梅雨明けか?という目論見はまるで外れてしまい、今年はいつもの一週間後の梅雨明けとなってしまった。 天気には全く恵まれず山岳展望は出来なかったが、今とばかりに咲き誇っていた花には充分満足させてもらい、南の雰囲気を味わう事が出来た。 初日のRINちゃん、全部の賄いの担当を押し付けてしまった郭公さん、あ・り・が・と・う(^0^) 郭公さんの記録へ 表紙へ 戻る |